機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第2回「戦いを呼ぶもの」

 見て思ったこと、連想したことをつらつらと書いてみる。
 アニメにはいくつか伝統的な「お約束」がある。お約束はお約束であって、必ずしもそうであると言うことではない。たとえばキャラが別人格にのっとられている時は目の色や声(声優)が違うとか、そういったこと。
 キャラがあまり書き分けられていないキャラデザインのアニメの場合、髪の色や声をあてている声優は、キャラクターを区別するための重要な要素である。髪の色や声優が同じなら名前が違っていても同じキャラクターだとか魂が一緒だとか転生だとか。DNAが一緒とか、親子とか。単に性格付けが似ているとか。
 SEED DESTINYの公式サイトからそこら辺を拾ってみると、ギルバート・デュランダルガンダムで抜群に知名度の高いキャラ「シャア・アズナブル」と声優が同じく池田秀一氏。シャアとの直接の関係は設定上はないだろうけど、制作上、意識したキャラになると見て間違いないだろう。パイロットのルナマリア(声は坂本真綾嬢)と管制員のメイリンは髪の色が赤系統。設定上は姉妹という位置づけになっている。仮面の男、ネオ・ロアノークは金髪で声優は子安武人氏。前作に出てきたムウ・ラ・フラガというキャラと髪の色と声優が一緒。子安氏は芸達者な声優なので、両キャラを同じ調子で演じているのは演技の引き出しが少ないからではなく、意味があるということだろう。まあ、同一人物かクローンか兄弟といったところか。仮面の男とやたらニュータイプ的な効果音で通じ合っているようなキャラ、レイ・ザ・バレル(声は関俊彦氏)は髪の色が同じく金。DNA的に関係がありそう。
 前作のキャラと声優が一緒ということでは、桑島法子嬢が演じる前作のフレイ、ナタルと今作のステラがあるが、髪の色が違うので、せいぜい作品におけるキャラの位置づけが一緒ぐらいの意味がある程度か。
 SFでよくやることとしてネーミングを神話から持ってくる、というのがある。今時ギリシア神話あたりは手垢がつきすぎているので、最近はローマ神話北欧神話やもっとマイナーな神話からもってくることも多い。神話はその神話を作った民族の文化が色濃く反映されているものなので、その文化との繋がりも考えずあるいはまったく無視して音の響きのかっこよさだけで採用すると、はずかしいことになりがち(採用した方は知らないからできるのであってはずかしいと思わないのが何ともかんとも)。特にSFは現実世界の未来であったり並行世界であったりと、何かと現実世界とつながりがあるという前提の上で成り立っていることが多いので、注意。特に神話上でのそれぞれの神の位置付けを考慮しなかったり、違う神話体系のネーミングを意味なくごっちゃに使うと失笑を買ってしまう。SEED DESTINYのメカのネーミングにも神話から持ってきたようなものがチラホラ見えるが、その辺のフォローが今後あるかどうかが、神話マニア的に楽しみ。
 話をキャラ優先の作りにした場合、色々なキャラの色々なエピソードを書きたくなる。このエピソードの時このキャラはこうだったけど、こっちのキャラはこんなことをしていたとか、こう思っていたとか。アニメでも小説でも映画でもあてはまることだが、うまい人がやれば歴史物語風になってストーリーに厚みが出るが、力がない人がやるとそれぞれのキャラにフォーカスをあてきれずキャラ描写が散漫になり、ストーリーの流れも分からず作品全体がぼやける。だから、普通の作品はストーリーの主人公や、語り部にあたるような視点人物を設定したり、本編の他に、別にサイドストーリーを独立させるのだが。SEED DESTINYはその辺が非常に危いように見える。
 そういえば、主人公の操縦するガンダムはやっぱり青くなった。