最終話(第50回) 終わらない明日へ

 予想通り本当に終わってないし(苦笑)。例え続編(というか補完エピソード)が劇場だろうとOVAだろうとゲームだろうとまんがだろうと小説だろうとラジオドラマだろうとCDブックだろうとネット配信だろうとCS放送だろうと、完全無料でない限り、自分は絶対、追いかけることはないな。つまり、タイトルは終わらない明日へでも自分的機動戦士ガンダムSEEDはすっかり今日でおしまい。これ以上、この話で稼いだらサギだよ……。
 最終回らしく、絵に気合を入れているのは分かるんだが、空回りして不自然もしくは不思議な影が多すぎ。話に至っては言及するまでもなく、歴代ガンダムの寄せ集め。しかも、ポリシーがないので(というか、視聴者に伝わってない……ってプロではまずいだろ……)、話に一貫性がない。今回だけでなく、ガンダムSEED全体にわたっていえることだけど。
 最終話のエピソードに限れば、仮面の人(シャアもどき)が何のために戦っているのかの動機が薄く、主人公キラになぜあそこまで執着するのかが意味不明。よって、人類全体をあそこまで憎むのも不明。それに対する主人公が仮面の人に対して人類の弁護をする根拠も薄い。その辺が書かれているエピソードがほとんどなかったからね。
 フレイの死に至るまでのエピソード(一度は助けられるが結局殺される)はなかなかだけど、その後、キラのイメージの中で改心するのはいただけない。改心するならするで、そこに至るまでのエピソードはもっと書き込まないと唐突過ぎるよ……。視聴者は監督や脚本家の頭の中を読めないんだからさ(嘆)。
 最後のそれぞれのキャラクターの生き死にもまったく意味なし。生死は偶然で意味づけはないという意味すら盛り込まれていなかった。単にキャラクター同士の恋愛の結末を絵で見せたかったがために、キャラクターの生き死にを決定したかのようだった。
 今後、ガンダムSEEDの製作者(特にストーリーに影響しているだろう監督や脚本家あたり)の作品は、意図的に自分の目の前から排除しそう。最近はアニメでも「あの有名アニメAに関わった○監督の最新作」みたいな宣伝の仕方をするから。

 結論、タイトルにガンダムの名がなければ自分は見なかった。